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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)1020号 判決 1960年2月27日

控訴人(原告) 今井伴次郎

被控訴人(被告) 総理府恩給局長

訴訟代理人 岡本元夫 外三名

原審 東京地方昭和二七年(行)一三四号(例集一〇巻四号80参照)

主文

本件控訴を棄却する。

控訴人の「控訴人が恩給法の定めるところによつて恩給を受ける権利を有することを確認する。」との訴を却下する。

控訴審での訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が昭和三十一年四月二十四日付でなした控訴人の普通恩給の請求を棄却するとの裁決を取消す。控訴人が恩給法の定めるところによつて恩給を受ける権利を有することを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文第一、二項と同旨の判決を求めた。

当事者双方の陳述した主張の要旨は、左記の外は原判決の事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

控訴代理人は左のとおり述べた。

恩給法第五十一条第一項第二号にいう「刑に処せられた」というには実刑を伴わなければならないから、「刑の言渡を受けた」というだけではまだ「刑に処せられた」ということはできない。執行猶予は条件付言渡であるから、条件が成就するかどうかによつて刑に処せられ或は刑に処せられないかにきまるので、その間はそのいずれでもない。いずれでもないものをすでに刑に処せられたとすることはできない。このことは、刑法第二十五条第一項第一号の「前に禁錮以上の刑に処せられたることなき者」と規定されていることからも明かであるから、控訴人は刑に処せられたものではない。

被控訴代理人は左のとおり述べた。

原審で主張した裁決の取消を求める訴が不適法であるとの主張を撤回する。

刑法第二十五条にいわゆる「禁錮以上の刑に処せられた」場合とは、実刑を受けた場合だけではなく、禁錮以上の刑について執行猶予の言渡を受けた場合をも含むことは明かである。すなわち、同条において「刑に処せられ」というのは、規定の趣旨及び我国の執行猶予制度が有罪判決そのものの宣言―刑の確定―を猶予する主義をとらず、条件付有罪判決主義をとつている点からいつて刑の執行を受けたこととは関連がないと解すべきである。恩給法第五十一条第一項第二号において「禁錮以上の刑に処せられた」とは、右の刑法第二十五条の「禁錮以上の刑に処せられた」というのと同じ意味であつて、禁錮以上の刑の確定判決を受けた場合をいうのであり、その確定判決の執行を受けたと否とを問わない趣旨であるといわねばならない。このことは恩給法において第五十一条第一項第二号(昭和三十四年十一月十四日付被控訴代理人の準備書面の二枚目裏二行目に同項「第一号」とあるは誤記と認める)にあつては執行猶予についてなんら特別の取扱を規定せず、第五十八条の二及び第七十七条にあつては執行猶予のあつた場合とそうでない場合とを区別して規定している点からも明かである。

現行刑法第二十七条は、刑の執行猶予を言渡されその言渡が取消されることなく猶予期間を経過した場合にはは、刑の言渡はその効力を失うものとしているが、これは猶予期間を経過するまでは刑の言渡の効力があつたことを意味するものであり、これによつてさかのぼつて刑に処せられなかつたこと、すなわち、確定判決がなかつたこととみなす趣旨ではない。そして刑の言渡の効力を失つた場合に、当該刑の言渡の効果として一旦消滅したある法律上の権利又は資格が復活するかどうかは、当該権利を賦与している法律の規定及び当該権利又は資格の性格から論ぜられるべきものである。恩給を受ける権利又は資格は恩給法によつて与えられる特別の権利又は資格であつて、同法第九条又は第五十一条では禁錮以上の刑に処せられた場合に恩給を受ける権利又は資格を失うと規定しているが、その復活についてはなんの規定もない。また、恩赦法第五条は特赦は有罪の言渡の効力を矢わせると規定し、同法第十条は復権による資格の回復を規定している。ここにいう資格は人の一般的抽象的能力ないし適格をいうものであり、恩給を受ける資格は同じく「資格」という用語を用いてはいるが、公務員が一定の年数在職することによつて取得する個別的、具体的な既得の地位ないし利益をいうのであつて、同法第十条の資格とは異質のものであり、刑の言渡によつてこれを失うことは同法第十一条にいう有罪の言渡によつて一たん発生した効果であるから、同条によつて特赦や復権によつても変更されないと解釈されている。等しく刑の言渡の効力の失われる場合である刑法第二十七条の場合と恩赦法第五条の場合とを異別に解しなければならない理由はない。

(証拠省略)

理由

控訴人は明治十八年四月十八日生れで、同四十四年三月東京美術学校卒業後ただちに東京府立第三高等女学校に教諭として奉職し、昭和十九年十月退職するまで勤務したこと、その間、控訴人は昭和十八年頃収賄罪で起訴され、懲役一年、三年間刑の執行猶予、追徴金四百円の判決の言渡しを受け、この判決は同十九年十月五日確定したこと、控訴人は右執行猶予期間を無事経過したので、同二十六年三月三十日付で恩給局あての普通恩給請求書を東京都教育委員会に提出したが、同年五月三十一日同委員会教育長川崎周一は控訴人の普通恩給請求権は恩給法第九条第二項によつて消滅したとの理由で右請求書を控訴人に返戻したこと、そこで控訴人は被控訴人に対し普通恩給請求書を提出したところ、被控訴人は昭和三十一年四月二十四日付で控訴人の請求を棄却するとの裁定をなしたこと、その理由とするところは、控訴人が右のような判決を受けた結果恩給法第五十一条の規定によつてその引続いた在職について恩給を給することはできないというにあること、控訴人は右裁定について内閣総理大臣に対し訴願をなしたが昭和三十三年十二月二十七日付で控訴人の請求を棄却するとの裁決があつたことはは、いずれも当事者間に争がない。

控訴人は、恩給法第五十一条第一項第二号は「刑に処せられた」と規定するが、「刑に処せられた」というには実刑を伴わなければならないが、執行猶予は条件付言渡であるから、条件の成否が確定しない猶予期間中にはまだ「刑に処せられた」ということはできない、と主張するので次に判断する。

しかしながら、刑の執行猶予の制度は、犯罪の情状が比較的軽くそのままで改過遷善の可能性のある被告人に対しては、短期自由刑の弊害をさけ又は釈放後の正業復帰を困難にしないように、刑の宣告と同時に一定期間刑の執行を猶予することを言渡すものである。そして、一方においては執行猶予の言渡を取消されることなく無事に猶予期間を経過したときは、主として刑罰の関係では刑の言渡は終局的にその効力を失うものとして被告人の改過遷善を助長するとともに、他方においては被告人が再び犯罪を行つたときは、いつでも執行猶予の言渡を取消し実刑を執行することを警告して、被告人の行動の反省と謹慎を要請しているのである。すなわち、これによつて刑罰の目的を妥当に達成しようとする刑事政策的配慮を多分に加味したものである。

そこで、恩給の性質について考える。恩給法にいう恩給とは、国家又は国家の指定した団体が官吏又はその他国家の使用する公務員の退官又は退職後、その退官者、退職者又はその遺族に対してその生活を維持するために与える金銭給付をいい、原則として官吏その他の公務員で一定の年限在職した者又はその遺族に支給される。官吏その他国家の使用する公務員は原則として他の職業に従事せず、一身を国家に捧げ国家の事務に専心しなければならないから、久しく官吏又は国家の使用する公務員であつた者は精神的及び肉体的に能力の消耗を免れず、退職後は十分に働いて収入を得るということは多くの場合困難であるから退職した官吏その他の公務員又はその遺族に対して国家が相当の補償を与へて、その生活が維持できるようにするのは、むしろ当然の義務に属するともいうことができる。国家はこの義務に基いて退職した官吏その他の公務員又はその遺族に対して相当の補償を与へることとし、その退職後の自己又はその遺族の生活の維持に不安のないようにしておくならば官吏又は公務員もまたその在職中専心忠実に国家のためにその義務を履行するようになるであろうから、国家はそのために却つて利益を受けることにもなる。恩給はこのような理由から退職後の官吏又はその他の公務員又はその遺族に対して支給されるのである。官吏又はその他の公務員は原則として、将来受ける恩給の基金の一部として、在職中毎月その俸給の百分の二(文官、教育職員の大部分、待遇職員、但し昭和八年法律第五十号による改正前はいずれも百分の一)又は百分の一(教育職員の一部、警察監獄職員、下士官以上の軍人、但し前記法律による改正前はいずれも納付しない)に相当する金額を国庫に納付し(恩給法第五十九条)、退職の場合に恩給を受けるのである。その積立金の額は極めて少い(参照―昭和三十三年法律第百二十八号国家公務員共済組合法第九十九条第二項第二号によると、同法第七十二条第一項による長期給付について、国は原則としてその費用の百分の五十五を負担し残りを組合員の掛金でまかなうにすぎないのに、同法第百条第二項に基いて定められた裁判所共済組合定款第十八条の例をみても、組合員の長期給付についての掛金は俸給の千分の四十四である)から、公務員が積立金をなして退職後恩給を受領するからといつて、これを保険料を納付しておいて保険事故の起つた場合に保険金の支払を受けるのと同じ性質であるとは必ずしも考えることはできない。しかしながら、国からみれば恩給は右記のような性質を有しているが、官吏または公務員の側からみれば国からたんに恩恵的に付与されるものではなく、社会経済が変化して官吏または公務員の生活が俸給によつて生活し、退職後の生活の資を残すようなゆとりがなくなつてきてからは、俸給と共に全体としての給与体系の一部をなしているような面を生じたことも否定できない。

さらに、恩給法の規定をしらべると、同法第五十八条の二(昭和二十六年法律第八十七号による改正前は第五十八条第一項第二号)、第七十七条第一項は特に執行猶予の場合について規定しているにもかかわらず、同法第五十一条第一項第二号では単に「在職中禁錮以上の刑に処せられたるとき」と規定するだけで、執行猶予の場合についてはなにも規定していない。また、同項第一号には懲戒、懲罰等によつて退職した場合をも掲げ、これ等は刑事罰よりも違法の程度或は道徳的責任が軽いのが通常であるにもかかわらず恩給を受ける資格を失う理由とされている。

以上のような恩給の性質、恩給法の規定、執行猶予制度の目的を考え合わせると、恩給法第五十一条第一項第二号の規定はいやしくも在職中禁錮以上の刑に処せられその判決の確定した以上、その引続いた在職については国家から恩給を受ける資格はないという意味で、執行猶予の有無を問わない趣旨と解するのが相当であるから、控訴人の前記主張は理由がない。公務員その他の者の上記のような恩給を受ける資格ないし権利は、それらの者にとつては退職後の生活の最も重要なかてをなすものであり、殊に僅かとはいえ上記のように国に納付金まで納付しているのであるから、法律上の意味での純粋な権利であるかどうかについては問題はあるにせよ、一つの財産権であることは否定できないと解するを相当とする。従つて、刑に処せられたとの一事で、刑罰としてではなく、且つなんの正当の補償をも受けることなく、当然に全部殊に納付金についてまでもそれを受ける権利を失うということが許されるかどうかについては疑問がないではない。しかし、控訴人が上記認定のように刑に処せられたのは現行憲法の施行前であつて、その当時の憲法には、現行憲法第二九条第三項のような規定は設けられておらず、上記認定のように恩給法の規定で恩給を受ける権利を奪つていたのであるから、控訴人は刑に処せられたことによつて、当然にその権利を失つたと解する外はない。

控訴人は、刑法第二十七条によると刑の執行猶予の言渡を取消されることなく猶予の期間を経過したときは刑の言渡はその効力を失うから、たとえ猶予の期間中は恩給を受ける権利はないとしても、猶予期間を無事経過した後は当然その権利は回復する、と主張するので次に判断する。刑法第二十七条は、前記のような執行猶予制度の目的にそつて、猶予期間を無事経過した者には刑法上の効果として刑の言渡の効力を失わしめ刑の執行をしないことを確定させる趣旨のものであつて、遡つて確定判決がなかつたこととする趣旨のものではない。そして、執行猶予の言渡を取消されることなく猶予期間を経過した場合に、右刑法上の効果以外にいかなる効果を与えるかは、それぞれの関係法令に基いて決定すべきである。前記のような恩給の性質、恩給法の規定、執行猶予制度の目的、恩給法には猶予期間を無事経過した場合その失つた資格の回復についてなんの規定もおいていない(前記国家公務員共済組合法第九十七条、同施行令第十一条の六第六項参照)ことを考え合わせると、恩給法は右の場合にその資格の回復を認めない趣旨と解するを相当とするから、控訴人の右主張は理由がない。

控訴人は、控訴人は終始同一学校に勤務したために刑事上の処罰を受けたことによつて全部の期間を通じて恩給請求権を失うことになつたが、次々と職場を変えた者が事故を起した職場での在職年数だけ除外しその他の職場での在職年数について恩給請求権を有することとの間に著しい不均衡を生ずるから、執行猶予の期間を無事経過した場合にはその制度の目的からもこのような不均衡をなくするために裁量によつて恩給を受ける権利を認めなければならない、と主張するので次に判断する。前記の恩給の性質、恩給法の規定、執行猶予制度の目的を考え合わせると、控訴人の主張するような場合についても、恩給法はなんの特別の規定を設けていないのであるから、裁量によつて恩給を受ける資格の回復を認めていない趣旨であると解するを相当とするから、控訴人の右主張は理由がない。

よつて、控訴人は在職中禁錮以上の刑に処せられたものであるから、恩給法第五十一条第一項第二号によつて引続いた前記在職期間の全部について恩給を受ける資格を失つたものといわなければならない。ゆえに被控訴人が昭和三十一年四月二十四日付でなした上記認定の裁定は、右と同じ理由で控訴人の普通恩給の請求は理由がないとしてこれを棄却したものであつて正当であるから、その取消を求める控訴人の請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当で、本件控訴は理由がないから、民事訴訟法第三百八十四条第一項を適用してこれを棄却する。

次に控訴人が当審で訴を変更して追加した控訴人に恩給法に基いて恩給を受ける権利のあることの確認を求める請求の当否について判断する。被控訴人の普通恩給請求を理由がないとして棄却した裁定が正当であることを、上段説示のとおり判断した以上、控訴人に恩給法に基いて恩給を受ける権利のないことが確定するのであるから、控訴人にはさらに恩給を受ける権利のあることの確認を求める利益は有しないと解するを相当とする。そうであるから、右のような確認を求める訴について、被控訴人が正当である当事者であるかどうか及びその他の点についての判断をなすまでもなく、確認を求める利益を有しないと解さなければならない。よつて控訴人の右訴を却下する。なお、訴訟費用の負担について同法第九十五条、第八十九条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 村松俊夫 伊藤顕信 土肥原光圀)

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